創部30周年

1981年 初陣!2部リーグ

 第4期
リーグ  関東2部 D ブロック
部長名  青木 彰
監督名  福永 幹夫
コーチ名 笠松、下条、三浦、諸角の医学専門学群6年生がコーチ
福永監督の阪大の後輩碇幸夫氏もコーチとして尽力
当時はコーチに明確な役割分担はなかった。
チームドクター名    土肥 徳秀
主将名  成塚 健治
主な練習場所 多目的グランド
対戦大学
第1試合 VS 千葉商大   スコア  6 - 14 ●
第2試合 VS 青山学院大  スコア  7 - 13 ●
第3試合 VS 創価大  スコア    32 - 0 ○
第4試合 VS 明星大  スコア    21 - 7 ○
第5試合 VS 国学院大  スコア  34 - 0 ○
第6試合 VS 明治学院大  スコア 60 - 0 ○
思い出に残るTopic
1. 春合宿 1年生の乱
当時ワンマン主将だった私(成塚)は、春休み中の練習に超基礎練習を実施(1時間ダッシュ、1時間ダミーブロック、1時間ダミータックル等)当時はとにかく2時間走れて、最後までブロックとタックルができることが勝利への王道であった。第6期(主将:管野)の代から「俺たちは牛や馬のように走ってばかりはいやなんじゃ」と練習拒否宣言を受けた。急遽福永監督を呼んでの緊急ミーティングを実施。スクリメージ練習を取り入れる。
【後日談】
このときの走りこみがあったからこそ、6期(主将:菅野)の2部全勝、次年度の1部昇格があったことは間違いない!!
2. 広川氏(第5期)硬膜下出血で倒れる。
RBだった広川がパワースルードリルの後頭が痛いと休憩。しばらくして意識がなくなり、瞳孔が左右で違い、腕が硬直する緊急事態となった。グランドにいた医専コーチの判断で、救急車を呼び大学病院へ緊急入院。頭蓋開頭手術を実施、1週間の意識不明状態の後奇跡的に命をとり止めた。怪我に対する部の意識が転換するとともに、危機において部員がまとまり、部のメディカル部門が飛躍的に充実していくきっかけとなった。

<編集部追記>

この年は初の2部リーグでの戦いとなった。上位2チームと互角以上の戦いをするも、いずれも1タッチダウン差で敗れ、4勝2敗で3位であった。