<1996年イヤーブック「創部20周年特別企画 主将に聞く」より抜粋>
「1部リーグ復帰」それが私達に課せられたミッションであった。しかし、初戦。思わぬ敗戦。事実上の昇格決定戦を僅差で敗退、ついに1部リーグ復帰をなしえなかった。
今になって当時を振り返ると、プレーのことは勿論であるがそれにも増して心に残るのは「アメリカン」を通して福永監督がおっしゃられた数々の事柄である。相手チームにリザーブがいないと分かるや否や発せられた「あんたら、救急車よばんかね!!そしたら勝ちやないか」気合を入れるための言葉と思っていたら、なんとハーフタイムでも「救急車のサイレンまだ聞こえんわね、わしは早く聞きたいわね、早く救急車よばんかね!」本気であった・・・。というような過激な御言葉も多かったが、その反面練習後の5分間スピーチに代表される、「社会に出てからアメフト馬鹿にならないアメフト馬鹿養成講座」といえるような時間が懐かしく思える。
今でこそプロへの可能性が拓け、職業としてのアメフトの成立をみているが、当時は例え社会人リーグで続けるとしてもあくまでも本業を持ちアメフトはその次に来るものという位置づけであった。日々アメフト一色の毎日を送っている現役の諸君には「何を言う!僕は一生アメフトを続けるんだ」という反論もあろう。それはそれでよい。ここで言いたいのは、すばらしい選手にとっても社会人にとっても、人に(たとえば監督であり、たとえば先輩であり・・・)に命令されて指示されて闇雲にプレー(仕事)するのではなく、それらのプレー(仕事)を自分で納得し自分の言葉で解釈し実行することが大切であるということだ。それが筑波大アメフト部の強さであり、そこから巣立ったOBの財産である。 「勝つ」という共通の目的のためのアプローチとしてアメフト以外のプラスアルファのスキルを身に付けられたことは、大変貴重であった。現役の諸君も広く将来の自分を見据えた日々を大切に送っていただきたい。