創部30周年EXCALIBURSの歴史

1986年 部室が燃えて部員が燃えた

第9期
リーグ 関東2部  Dブロック
部長名  宮丸 凱史
監督名  福永 幹夫
顧問名  青木 彰
チームドクター名  土肥 徳秀
主将名  原田 健司
主な練習場所  第2サッカーグランド
対戦大学
第1試合  VS 千葉大  スコア    21-7○ 
第2試合  VS 和光大  スコア    52-6○
第3試合  VS 東京農工大  スコア 38-0○ 
第4試合  VS 成蹊大  スコア    44-0○
第5試合  VS 玉川大  スコア    41-6○
入替戦  VS 神奈川大  スコア   14-3○ 
思い出に残るTopic

<1995年イヤーブック「HISTORY」より抜粋>

 

昭和61年4月1日午前7時頃でした。1本の電話のベルで起こされました。

「もしもし、土肥ですけど。」

この年の春にアルバイトでお世話になった土肥先生でした。土肥先生からのミッドナイトコールは有名だったのですが、その日に限りモーニングコールでした。

「松元君、部室が火事で燃えてしまったぞ」

「えっ!本当ですか?(今日は41日、エイプリル・フールと内心思いながら一応驚きの声)」

眠い目をこすりながら部屋に行って、震えました。部屋は真っ黒。あるのは、フェイスマスクの黒光りした残骸のみ。

それから約1ヶ月間、防具やボールを揃えるため全員で練習を中止して、アルバイト活動を行いました。新聞配達(この記事は新聞に掲載されました)、ゴルフ場での芝植え(N氏がトラックをひっくり返して電柱を折る)、地質研究所の砂取り、毎日毎日、クラブ再建に向けて部員一丸となって取り組みました。夏合宿で山中湖研修所を使用するようになったのもこの年からだったと記憶しています。そしてこの年の秋シーズン、2部優勝、1部昇格。今度は部員が燃えたのでした。

 

 

<1996年イヤーブック「創部20周年特別企画 主将に聞く」より抜粋>

 

私達が1年生の時、菅野主将のもと初めて1部リーグ昇格を果たし、2年生の時、早川主将のもと善戦むなしく降格してしまいました。3年生のときには、島崎主将のもと1部リーグ復帰をかけて戦いましたが、拓殖大学に敗れ、夢は果たせませんでした。そして、いよいよ勝負年を迎えました。

私の同期は、野村、池田、富田、佐藤、小池、長屋の僅か7人でした。7人の侍だけの力では、シーズンを戦っていけないと判断した我々は3年生を巻き込むことを考えました。山崎、阪本、新里、太野らの意見、考え方を尊重しながら、彼らを各ポジションのリーダーにして権力と同時に責任感を持たせました。3年生以下が、団結することにより、チーム力は大きくパワーアップし、見事に1部リーグ復活を果たしました。これはすべて若手メンバーが1年上の働きをしたからです。

当時1部と2部を繰り返していた我々にとって、1部リーグで戦うことが夢でした。もちろん、優勝やパールボウルも考えましたが、1部リーグに残ることが最大の目標でした。二度と2部の、どさ回りはしたくないと誰もが考えていました。

現在のチームは甲子園に向かって、頑張って下さい。ただし、チームの良い歴史である文武両道で。決して留年はしないでください。OBは恥ずかしく思っています。